経験的事実と論理的推論から何かをやりたい人。

『この世界の片隅に』を読み解くための『現代現象学』(2)

 その1からの続き。

irigata.hatenablog.com

 

 

 それでは、現象学では「美しさ」や「正しさ」などの価値については、どう考えるのだろうか。経験に基づいて価値を考えるというのは、あまり馴染みのない考え方かもしれない。まず一例として、『この世界の片隅に』の感想を一言で言いづらい理由として、「あまりにも多様な感情を抱かせるから」だという意見を取り上げたい。

 これはこの映画にそれだけ、様々な感情を抱く場面があったということだろう。誰かのしょうもない失敗を見た時、空から大量の爆弾が降るのを見た時などに、個人差はあれど人間は何かしらの感情を抱くだろう。思わず笑った時には「笑える」や「楽しい」、恐怖を感じた時には「怖い」や「悲しい」と感じる。こうした「感情」は特に思考によって生まれるものではなく、自分の意図とはほとんど無関係に経験されるものだ。

 そしてその感情は、物事の真善美を判断する時にも重視されるのではないだろうか。世間的に価値が高いと言われる芸術を見ても何も感じなかった場合、個人的にはその芸術に価値がないと判断するだろう。逆に世間は評価していないが、自分は価値を感じるものが存在することもあり得る。重要なのは、価値について語る場合、現実世界を越え出た超自然的原理としての「真善美」を前提にするよりも、現実の知覚や感情が価値の土台を成していると考えた方が、日常の経験に即して考えやすいということだ。安易に「美しい」とか「正しい」といった言葉で物事の価値を語ろうとすると、その価値の背景が見えにくくなってしまうが、価値判断をするためには、先に何かを経験する必要があるはずだ。

 哲学の世界では、「~である」から「~すべき」は導かれないとして、事実と価値は区別しなければならないという考え方もあり、「ヒュームの法則」という名前まで付けられている。確かに、事実から価値を導く時には、まず例外なく主観が入ってしまう。つまり、論理的推論としては間違っていることになる。しかし、そこで議論が終わってしまうと、普段日常的に行っている価値判断の過程を考えることができない。そうした問題にもアプローチできるのが、経験的事実を起点とする現象学の考え方なのである。日常生活での楽しみや戦争の被害などを見て幸福や不幸などを感じることは、例外や個人差はあるだろうが、ごく一般的な経験なのではないだろうか。すると、何かしらの物事に価値を見出す経験は、個々人の主観的な「認知」に関係していると考えられる。そして『この世界の片隅に』では、様々な観客に様々な感情を経験させる場面が、緻密に散りばめていたと言えるのではないだろうか。

 

 少し話は逸れるが、他に安易に「還元」されていると思う言葉として、「日常」と「戦争」という単語も取り上げたい。『この世界の片隅に』の感想として、「日常の中に戦争の影がじわじわ入ってくるのが怖かった」というものを見たことがある。しかし、そもそも日常や戦争という単語は何を指しているのだろうか。

 これについても、まず日常や戦争という概念が先に存在している訳ではないだろう。料理や洗濯といった行為などをまとめて「日常」、軍艦や爆弾による戦闘行為などをまとめて「戦争」と言っているはずである。それがいつの間にか「日常」や「戦争」という記号で物事が語られるようになったのではないか。「日常の中に戦争が入ってくる」という表現は、そうした記号的表現が物事をうまく区別できず、機能していない状況から生まれているのではないだろうか。『この世界の片隅に』に描かれるものの多くは、日常にも戦争にも関係があるものとして登場していたはずだ。そうは言いつつも、この記事でも日常や戦争という語句を多用してしまっているが、あくまでもそうした語句は、様々な物事をカテゴライズするための語句だと考えた方がよいと思う。ある語句がどう定義され、どう説明に使えるかという問題は、政治学などに触れる時にもよく疑問に思うのだが、記号としての言葉の問題はしばしば無視されがちな気がしてならない。

 

 

 

 そして、この映画を語る際にしばしば取り上げられるのが、人生についての(どう生きるべきかなどの)問いである。幸運にも『現代現象学』の中でも、「人生の意味」を問う章が設けられている。哲学という学問は、意外にも人生について考察することが少ないのだが、この本では珍しくストレートに扱っている。人生の意味というのも、論理的推論だけでは恐らく何も語りようがない。あるいは、人生に生きる意味などない、目的も存在しないという、ニヒリズム的な結論を導きがちである。実際、ある事実から「論理的に」何らかの価値を導くのは、ほとんど不可能だろう。

 だがそうは言っても、距離を置いてはならないと感じるものが、誰にでもあるのではないかと本では問う。親にとっての子供や、芸術家にとっての芸術が例えばそうであり、それは『この世界の片隅に』にも通じるところがあるだろう。径子さんにとっての晴美ちゃんや、すずさんにとっての絵を描く行為がそうである。これは論理的推論というよりは、実際に何に価値を感じるかという「認知」を元にした考え方と言えるだろう。とはいえ、そうした大切なものが失われる可能性についても考えなくてはならない。人生の「脆さ」を前にして、なおも意味ある人生というものを考えることはできるだろうか。

 

 これは、「哲学を学ぶ意味」にも通じる問いである。人間は普段の日常的な経験から、様々な推測をしながら生活している。しかしそうした推測は、当然間違える可能性がある。それは人間が不完全な存在だからであるが、とは言え「世界に確かなものなど何も無い」と認める必要もない。恐らく論理的推論「のみ」を頼る限りでは、そういう思考に陥ることもあるだろう。それでも、「経験そのもの」が存在することは疑いようのない事実のはずだ。そこから推測できることは無数にある。それでも強硬に「世界に確かなものなど何も無い」と言うならば、店に行けば食品が売ってるから買いに行こうと考えるような、日常的な推測も無意味になる。しかしそうした推測は、大抵の場合当たっている。仏教でいう涅槃の境地にでも至れば別かもしれないが、まず間違いなくほとんどの人間は、日常的な経験まで疑うことは不可能だろう。ただ、あくまでも経験する限りでの世界が存在するという結論は、ある意味で信仰に近いものを含んでおり、態度が哲学を学ぶ前に戻ってしまうことにもなる。

 しかし、例えば科学の驚くべき整合性などを考えても、経験を元に構築される世界像は、現実の世界と近似的であれかなり一致している、と考える方が合理的ではないだろうか。物を投げれば加速度的に落ちること、体には血液が巡っていることなどを疑うと言うのであれば、きちんとした「疑うべき理由」も示すべきではないのか。それでも頑なに「物を投げれば落ちるという経験も信用できない」などと言うならば、試しに崖の上から飛び降りてみればいい。飛び降りれば地面に落下し、怪我をすれば血を流すはずだ。飛び降りるのを躊躇うのなら、経験的事実を多少なりとも認めていることになる。それでも「経験的事実は嘘かもしれない」と言い張ることはできるが、たとえ五感で感じる経験が幻覚のようなものに過ぎないとしても、やはり「経験そのもの」まで疑うことは難しいだろう。不確かなことがあることは認めても、何も語りえない訳ではないというのは、そういうことである。

 そして、こうした立場には生きる上でのメリットもあると考えられる。まず人間の不完全さを自覚した者は、物事についての真理を手にしうると考える独断論に陥ることがなくなる。また、経験を通じて事実や価値の存在を認めるならば、事実や価値について何も語りえないと考える懐疑論をも退けることができる。そして、そうしたことを了解した人々は、やがてそこから他者と共通了解を作っていき、コミュニケーションを図ることも可能なはずである。

 さてここで、『この世界の片隅に』に戻ってみよう。先程の結論を振り返ってみると、自らの不完全さを自覚しながらも、この世界に生きることを受け入れる姿勢とは、まさしくこの映画のラストにも通じる姿勢なのではないだろうか。すずさんを含む登場人物たちは、恐らく独断論懐疑論からはかなりかけ離れた立ち位置にいたはずである。また、あの映画によって感情を動かされたと考える人々は、具体的にどのような場面でどう感動したかを共有することで、互いに相互理解をしていると考えられる。

 

 

 話をまとめよう。現象学においては、人々が見出す様々な価値の背景には、経験的事実が基礎にあると考える。逆に、現実離れした観念的な「真善美」については、究極的には考えない。一方、『この世界の片隅に』では「一言で語れない」といった感想をよく見たが、これは感想を簡潔な記号的表現に還元しようとするから難しくなるのではないか。多くの「片隅」が集まって「世界」が出来ていることを理解したならば、物事の大枠をいきなり掴もうとするのは避けるべきだろう。それよりは、事実から価値を見出す経験に注目し、映画でどのような感情をどの場面で経験したかを丁寧に追う方が、感じたことを上手く説明しやすくなるのではないだろうか。そして、この映画を通じて人生の意味をも問う時、人間の不完全さを認めながらも生きることを受け入れる姿勢が、この映画を読み解く重要なヒントになるのではと考えている。

 

 映画における事実の羅列から価値が生まれる現象を考察するというので、できればモンタージュ理論やコンティニュイティ(連続性)や意味論・語用論などについても書きたかったが、このくらいにしておきたい。断片的な話は以下を参照のこと。

 

 

 

 

 

 前々から映画などを語る際に、「雰囲気がいい」とか「打ちのめされる」とか「胸が張り裂けそう」とか「言葉で言い表せない」などの記号化された言葉に還元することには違和感を感じていた。『この世界の片隅に』の中身を具体的に分析するまではできなかったが、前提となる話はできたのではと思う。

 

 

 

<参考>
片渕須直監督, こうの史代原作, 『この世界の片隅に』, MAPPA (2016)
この世界の片隅に」製作委員会, 『この世界の片隅に 劇場アニメ絵コンテ集』, 双葉社 (2016)
植村玄輝他編, 『現代現象学 経験から始める哲学入門』, 新曜社 (2017)
田口茂, 『現象学という思考 〈自明なもの〉の知へ』, 筑摩書房 (2014)
木田元, 『反哲学入門』, 新潮社 (2010)
S. Weinberg, 『科学の発見』, 赤根洋子訳, 岩波書店 (2010)
A. Sokal, J. Bricmont, 『「知」の欺瞞』, 田崎晴明他訳, 岩波書店 (2012)
富野由悠季, 『映像の原則 改訂版』, キネマ旬報社 (2011)

 

 

  

この世界の片隅に 劇場アニメ絵コンテ集

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現代現象学―経験から始める哲学入門 (ワードマップ)

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現象学という思考: 〈自明なもの〉の知へ (筑摩選書)

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反哲学入門 (新潮文庫)

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科学の発見

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「知」の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用 (岩波現代文庫)

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映像の原則 改訂版 (キネマ旬報ムック)

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『この世界の片隅に』を読み解くための『現代現象学』(1)

 

 

 

 

 『この世界の片隅に』については、自分なりの読み解き方で、まとまった文章をどこかで書きたいと思っていた。映画を最初に観たのは2016年11月16日。前情報が少ない割にやたらネットでの評判が良く、片渕監督のインタビューを読んだらやけに理路整然としていて、恐らく良い映画なのだろうと期待して観にいった。原作は未読だったし、片渕監督のことも全く知らなかったが、公開1週目で観に行けたのは、今にして思えば幸運だった。

 読むペースを変えられる漫画などと違い、映画は観客を時間的に拘束してしまう所があるが、その2時間はあっという間に感じられた。上手く観せることに成功している映画だと思った。冒頭で子供のすずさんが風呂敷を背負う描写の丁寧さを観た時点でもこだわりを感じたし、日常生活の細かな描写もリアリティを感じた。しかし、こうした映画の特徴だと思うのだが、観た直後は感想を言いにくく、素直に好意的な評価をしていいのかも判断できなかった。

 

 映画の好みというのは本当に人によって分かれるもので、今まで映画好きの人には何人も会っているが、好みが合って話をしている光景をほとんど見たことがない(ラジオとかでコメンテーターによって評価が割れることを考えればいいかもしれない)。エヴァ好きやスターウォーズ好きとかで話が合うのはまだ分かるのだが、単に「映画好き」といった場合には、もっと細かくヒューマンドラマ好きとかグロいホラー好きとかに分かれたりしてしまう。自分は大学で映画サークルに入っていたことがあり、それ以降も映画好きの人には度々会うのだが、「好きな映画」の話の噛み合わなさにはなかなか辛いところがある。かなり主観的な推測ではあるが、純粋に映画好きの人は一人で映画を観ることに抵抗がないばかりか、むしろ気楽でいいと思っている節があるように思う。

 それに関連して、日常会話で「一番好きな映画は何?」という質問にはかなり困ってしまう。物語だけでなく、照明や音響といった演出がいい映画もあるし、異なるジャンルの映画を比べて好きな映画を言っても、「それって自分の好みじゃないの」とか思われて悲しい思いをしたりする。あまり有名すぎる映画を答えてもつまらないし、白黒映画とかを答えたら逆にマニアックすぎると思われるので、適当に最近観て良かった映画を答えたりする。しかし、実際に一番好きな映画というのを考えてみると、どれも一長一短あって難しいというのが本音なように思う。

 

 その点、『この世界の片隅に』が異常だったのは、自分自身もそうなのだが、他の人の感想を見ても、批判的意見がとても少ないということだった。そして感想を見ていると、「戦争は良くないと実感できた」とか「日常の大切さを理解できた」というように、十人十色の捉え方で共感されているように見えた。

 

 しかし、よく考えてみると、確かにあの映画は時代考証もアニメーション表現も学術研究並みに凄かったが、直接的なメッセージを読み取れる場面はあまり無かったのではなかろうか。しかし、それならばなぜ、料理や洗濯をする、空襲警報が鳴るといった事実の羅列から、観客に様々な感情を抱かせ、平均的にも高い評価を得られたのだろうか。「この映画について言葉で語るのは難しい」という感想もよく見たが、個人的にまず考察すべきは、時代考証やアニメーション表現などではなく、「あの映画における事実の羅列からどうして様々な好意的反応が生まれたのか」という点ではないかと思うのだ。また多くの人が共感したということは、『この世界の片隅に』には、多くの人に共通するものの見方や価値観が隠れているのではないだろうか。そこで、この記事では「現象学」という考え方を元にその点を考察し、逆にこの映画を元に現象学の紹介もしてみたいと思う。

 

 

 現象学については、歴史から話すととても壮大になってしまうのだが、ひとまずはそれ以前の西洋哲学の欠点を克服する形で生まれた、というのが自分の理解だ。伝統的な西洋哲学としては、特にプラトンに始まる形而上学が有名だと思う。形而上学では、コップや机といった有形のものや、芸術や政治といった無形のものに対して、「イデア」などの真の姿が存在し、その本質的な概念から物事を理解していく、というやり方を取る。少し違和感のある考え方だが、その後のアリストテレスもその思想をある程度踏襲し、やがてキリスト教神学とも結びつき、伝統的な思考法として近世まで受け継がれることになった(とは言え現代でも、「究極の方程式」とか「芸術は妥協の連続である」などという場合には、暗に「真の姿」が想定されているかもしれないが)。

 とにかく、そうして現実世界から離れた超自然的原理を仮定し、そこから演繹的推論によって「論証」するという思考法が、ヨーロッパでは2000年以上も続いてきたのである。経験的事実による「検証」や、観測結果の不確実性などについても、中世以前の人々はあまり注意していなかったようだ。例えば古代ギリシャアリスタルコスは、様々な天体の観測結果から、太陽と月の直径と距離を計算しているが、観測結果の精度が少し悪かったために、実際の値とはかなり離れた結果を導いている。数学的推論は合っていたが、数値的結論が全く違ってしまったのだ。もちろん、当時は観測精度に限界があるし、統計や誤差評価の方法なども無かったと思うが、あえて現代の目線で見てみると、科学の手法を生み出す大変さも分かって面白い。

 

 科学的探求ですらそんな状態だったので、哲学など他の学問もツメの甘い部分が多かった。例えばデカルトは、一般的には近代哲学の祖とみなされており、「我思う、故に我あり」という言葉はあまりにも有名だろう。しかし、自分の存在は疑えないとしても、知覚から得る世界の情報まで正しいとは限らない(実際、人間の認識能力には限界がある)。そこでデカルトは、「理性」という概念を持ち出して、その理性でもって世界を観察すれば、世界の正しい知識を得られると考えた。これだけ聞くと現代的にも感じるが、実はデカルトは敬虔なキリスト教徒でもあって、神の存在証明なるものまで行っている。そして、「理性」の信頼性も神に求めている節があり、これがその後の啓蒙思想にも続いていくことになる。本当に神が背景にいれば人間の判断も間違えようがなさそうだが、神を根拠にして「理性的に」判断を行うというのは、あまり論理的な主張とは言えないだろう。

 また、「自我」という概念もそこまで絶対的と考えるのは無理があるだろう。ある人の物事の考え方は、その人がいる文化や言語などの影響を受けてしまう。現代人であれば、肉を食べる時には加熱調理して、何か調味料を付けようなどと考える。しかし、原始時代にタイムスリップして生まれた人なら、ほとんど肉をそのまま食べることしか考えられないだろう。そうしたことから現代的な思想では、人間個人よりもむしろ文化や制度のような「構造」が先にあるという思想が生まれた。しかし、文化や言語なども人間がいなければ生まれないものであって、鶏が先か卵が先かという話にも聞こえてしまうし、そうした構造の存在を絶対視してしまうのも本末転倒と言えるだろう。

 ところで、「自我」と「構造」という語句は、『この世界の片隅に』の読み解きにも重要な語句と思われる。この映画で重要な鑑賞ポイントと思われるものに、「片隅」と「世界」の関係がある。この映画は主に主人公のすずさん視点で描かれており、それ以外の視点はなるべく排除されている(皆無ではないが)。これにより物語は、すずさん視点から世界の動きが垣間見えるように構成されている。物語の舞台は基本的に「片隅」が中心であり、一方で「世界」はすずさんの日常風景などを通じて語られるのである。しかし、そもそも私たちが関わる「世界」にしても、形ある実体として存在するというよりも、範囲の限られた「片隅」から窺い知るものなのではないだろうか。つまり世界とは、沢山の片隅が集まって出来ているのではということを、この映画から考えることができるのだ。そして、すずさんという一人の片隅の存在は、同時に世界を構成している一部でもあり、単に受動的に戦争を体験するだけでなく、戦いへの参加などを通じて世界に働きかけようともするのである。

 

 

 さて、19世紀末以降になって、それまでの観念的な思想の潮流に穴を開けた人物にニーチェなどがいるが、その中で新たな哲学(現象学)を創始したのがフッサールである。現象学とは一言で言えば、主観的な経験を起点にして様々な問題に答えようとする学問だ。例として科学における存在論を考えてみる。ニュートンの運動法則というものがあるが、この法則のみを見ればかなり抽象的で、その法則自体が実体あるものとして存在するかは分からない。しかし、この法則の正確さは、適切な検証を行うことで経験的に確かめることができる。物体の落下速度を計測したり、機械の設計に応用したりして、上手くいくかどうかを見ればいいのである。これがアリストテレスの場合だと、「物体運動は力を与え続けなければ止まってしまう」という考え方をする。日常的な感覚では「定性的に」見てこの考えも合っていそうに思える。人工衛星ですら時間が経てば高度が下がって落ちてくるのである。しかし、自然現象をよく観察・検証すると、慣性の法則などを仮定して、ニュートン力学で考える方が、物体運動を「定量的に」説明できるようになる。

 ひとまず一例として存在論を挙げてみたが、現象学が扱うのはそれだけではない。価値判断の正しさや、他人の心の問題についても、経験に基づいて分析を行う。とりわけ個人的に役立っているのは、2017年8月に出版された『現代現象学 経験から始める哲学入門』という本だ。なるべく日常的な経験から哲学的問題を考えていて分かりやすく、かなり最近の文献が豊富に引用されているのも良いと思う。

 

 現象学の重要なワードとしては、「志向性」がある。例えばコップや机を見た時、自分の意識はコップや机といった対象に向かっている。では志向性とは何かしらの対象に向かう意識なのかと言えば、そうとも限らない。誰かがドアをノックした時、その様子から母親かと予想したら、父親だったという経験を考える。この場合、志向の対象は母親だったが、実際にドアをノックしたのは父親だったということになる。このように、志向性には過去の経験などから未知の経験を「先取り」したり、あとでその先取り内容を「正当化」したりする上でも、重要な役割を果たしている。

 これは、『この世界の片隅に』にも応用が利く概念ではないかと思う。すずさんは少し夢見がちな少女で、かつ現実には流されて生きる節があるが、戦争の影が迫っても、しばらくはすずさんに重大な危機が訪れることはない。やがて観客も含めて、料理や洗濯という日常の光景を見せられるうち、こうした生活が「普通」であると感じられるようになる。しかし映画の後半、一線を越えてすずさんが被害に直面した時、「当たり前の日常が続く」という先取りの観念が崩れ、精神的な迷いの世界に入っていってしまう。

 志向性の働きによって確かめられていく「普通」という概念は、自分が何かを考える際の基盤にもなるものである。それが崩れるものだと分かった時には、生きることの意味すら問われることもある。こうしたことは1945年の太平洋戦争終結時のほか、2001年の米同時多発テロや、2011年の東日本大震災の際にも見受けられた。とにかく涙が出たとか、何も手につかなくなったという話はしばしば耳にするし、そうした出来事がきっかけで生まれた書籍や音楽などを挙げれば枚挙にいとまがない。

 

 

 その2に続く。

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この世界の片隅に 劇場アニメ絵コンテ集

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現代現象学―経験から始める哲学入門 (ワードマップ)

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現象学という思考: 〈自明なもの〉の知へ (筑摩選書)

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反哲学入門 (新潮文庫)

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科学の発見

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「知」の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用 (岩波現代文庫)

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映像の原則 改訂版 (キネマ旬報ムック)

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14年前に亡くなった女の子と、文章を書く意味について

 あまり個人的なことを書くのはなるべく止めるつもりでいたが、自分が文章を書くきっかけを明確にするのは意味がある気がして、まずはそれを書いておきたいと思った。きっかけと言っても一つだけではないはずだが、何か色々と思い出した折に書ければと思う。

 

 

 小学5年生のことになるのだが、近所に住む同級生の女の子が亡くなった(仮にAさんとしておく)。これが身近な人を亡くした初めての経験だった。自分が覚えている限りでは、Aさんに友達らしい友達はいなかった。登下校時にはAさんと同じ班で帰ることになっていたが、当時の班にいた同学年5人のうち、4人は自分を含めた男子、残りの1人が女子のAさんという形で、しかもAさんはかなり内向的だったから、1人で帰る姿をよく見た記憶がある。小学生男子4人なんかはそれほど他人に気配りできる訳もなく、Aさんの容姿に対して悪口を言ったりもしたし(アトピーがどうとか)、自然とAさんを仲間外れにする構図ができてしまっていた。

 小学5年生の12月頃だったと思うが、いつも通りに帰ろうとする際、Aさんがまだいないのに先に帰ることになった。帰り道、同じ班のB君と話して、そこでAさんが入院したらしいと知った。AさんとB君の家は隣同士で、理由を聞いてみると、どうも一酸化炭素中毒らしいと分かった。丁度ストーブを使い始める時期だったが、家で部屋を閉めきってでもいたのだろう。

 とはいえ、今で言えば正常バイアスとでも言うのだろうが、当時の自分はまだ「入院」の意味を軽く考えていた。まだ死んだ訳ではない、一命を取り留めたのなら良かった、とむしろ安心していたように思う。

 

 次の日になり、帰りの会が始まってから、先生が教室に来て話を始めた。「Aさんのことですが……」と言うのを聞き、自分は物知り顔で「あ、知ってます!」などと言ったりした。当時の自分はかなりのお調子者だったのだが、先生は特に気に留めず、「Aさんは病院で亡くなりました」と言った。そこで初めて、自分も事の重大さに気が付いた。先生は「ストーブの不完全燃焼による一酸化炭素中毒で」と続けた。

 帰りは下駄箱付近で全員集まった。当時、同学年の教室は2クラスで、それぞれのクラスの先生が前で少し話し、それから帰った。班ごとに校門を出れば、そこからは四方八方に別々の道を帰る。自分の班もやがて他の班と距離が開いていく。それから、今日の大事件に一番近い班は自分の班なのだと意識し始めると、今まで感じたことのないような不安に襲われた。

 それからまたB君と話した。B君が言うには、最初にB君の家に救急車が間違って入り、Aさんのお母さんがパニックになりながら、救急車の人を「早く早く」と急かしているのを見たと言っていた。

  家に帰り、一応親にも言わなければと思った。しかし、入院したことすら言っていない。いきなり「死んだ」ことを伝えた。母も驚いて、同級生の親に確認の電話をしたりした。自分もずっと落ち着かなかったが、母がかなりショックを受けているのを見て、「やはりAさんが死んだのは大事件なのか」と、Aさんの死に現実味を感じはじめた。

 それからのことはあまり覚えていないが、葬儀が近親者だけで行われたことや、Aさんが死んだ後もしばらく机が残され、席替えの時には一番後ろに置かれてたことなどは、かろうじて覚えている。

 ちょっかいをかける時くらいしか話さなかったようなAさんが、突然亡くなった。死んだ直後はあまり実感がないが、半年も過ぎると、小学生といえどいずれ罪悪感というのが出てくる。

 ひとたびAさんを思い起こすと、一人で頭を下げながら帰っている様子が目に浮かんだ。家から学校までは30分ほどあったから、それなりに長い。苦痛だったかもしれない。5年冬の学芸会の写真にはAさんが写っていても、6年の修学旅行の写真にはいない。普段は忘れていても、ふとした時にまた思い出してしまう。この出来事は、自分自身で意識していないうちに、誰かを不幸にしてしまうことはあるのかとか、そんな問いも考えるきっかけになったように思う。

 

 やがて、小学校の卒業式が近づいてきた。卒業式のリハーサルで、在校生の女子Cさんが、1人でとある卒業生との思い出を話す場面があった。それはCさんが低学年の頃の話で、Cさんが一人で帰っている時に、ある上級生が「一緒に行こう」と言ってくれたという話だった。自分は他学年との交流があまり無かったので、そんな人もいるのか、と聞き流していた。

 しかし、その頃の階段の踊り場には「在校生から卒業生へのメッセージ」なるものが貼られていて、ある時に自分宛てのものがないかと探してみたら、唯一あったのがそのCさんからの手紙だった。読んでみると、内容はあの「一緒に帰ろうと誘った上級生」の話だった。

 これは卒業式の数日前だった気がするが、つい思い出してしまったのはAさんのことだった。正直、Aさんのことを生前どう思っていたかと考えても、特に何とも思っていなかったのが現実なのだが、それでももう少し気配りができていれば、というのは考えてしまった。でもAさんが生きていたとしても、Aさんに「一緒に帰ろう」と言うことはなかった気もする。そう言えば、AさんとCさんも一応近所だから、学年の違う2人で帰る所はたまに見た記憶があるが、2人は互いのことをどう思っていたのだろうか。

 

 

 時間がずっと進んで、去年のことになるが、当時の同級生D君と会った時に、たまたまAさんのことを話す機会があった。するとD君は、Aさんの得意科目は理科で、テスト結果を見せて貰ったことがあると話してくれた。自分は10年越しに知ったのだが、Aさんは理科が得意なリケジョだったのかもしれない。

 今回、Aさんのことをブログに書くにあたって、小学生の頃の写真を探してみたりした。どれがAさんかは割と分かったが、改めて写真を見ると、どうもAさんの表情が乏しい。4年生くらいまでは、春の全体写真を見ても、冬の学芸会の写真を見ても、口を一文字に結んでいて、目も笑っていない。けれども、5年生の写真になると、少し口元が緩んでいた。

 ここで、Aさんの心に変化があったと考えるのは早計な気はする。よく見ると、自分だってそこまで笑っていない。自分も割と内向的な性格なのだが、まず集合写真を撮る時に笑顔でいるのは少し訓練が必要だと思うし、低学年の頃の写真を見ると、むしろ笑っている子の方が少なかったりする。

 Aさんにしても自分にしても、ある頃から笑顔が増えているのは、恐らく同じ理由からだ。それは現実に楽しかったからかもしれないが、それ以上に愛想を振りまくことを知らない状態から、楽しさを表現する社交性を身に着けつつあったということだと思う。それは言わば、他者を意識して大人になる途上だったのであり、そういう意味ではAさんの大人の一面を垣間見ているのかもしれない。

 あまり強調するつもりはないが、特に自分がAさんを好きだったようなことは無いし、生きていたとしても疎遠なままだったと思う。ただ、改めて今思い返してみると、自分とAさんには何か通じるものを感じてしまう。親近感を覚えるのである。単に自分も理系の道に進んだとかいう以外にも、例えば当時の通学班5人のうち、自分以外の4人が女の子だったら……? ひょっとすると、そんなことで立場は逆になったかもしれない。一人で帰るあの姿は、自分だったのかもしれない。しかしこんな想像も、Aさんが死んだから初めて考えたことであって、皮肉と同時に不謹慎さもどこかで感じてしまう。

 

 小学生の頃の自分というと、そんなに大人しいタイプではなかったと思うのだが、ようやくこの前後くらいから性格が落ち着いてきたような気がする。それは単純に成長したという以外に、Aさんに起きた不幸という外的要因も、全くなかった訳ではないと思う。

 こうして文章にしてみると、このことを人に話す機会もほとんど無かったことに気づく。面と向かって言いにくいことでも、文章なら言いやすいといった話はたまに聞くが、実のところその意味はかなり重要だと感じている。小説や音楽などの存在意義を問う時、より良く生きるために必要なのだという答えを見たりするが、もっと実用的な意味で、自己表現の手段としてちゃんと使えるのではと思っている。今回の内容についても、人に言う機会があれば話してもいいのだが、わざわざ話す機会がない。「自分はこうしたことを考えているのだけど、他の人はどう思うのだろう」といった疑問は、文章にでもしなければ問う機会が少ない。

 少し脱線するが、例えば太宰なんかに傾倒して、その表現論を語るような類のものは星の数ほどある。けれども、創作行為を自己表現や他者理解といった意思伝達の手段と見なしたり、メンタルヘルス的な影響を考える論考などについては、あまり目にしない気がする。

 

 

 もう一度記憶を辿ってみると、自分とAさんは2回ほど一緒に遊んだことがあった。小学校に入ってすぐくらいの頃で、自分の家でテレビゲームでもしていたのだと思う。ただ、Aさんが確かゲームにあまり興味を持たず、他にやることが少なかったので、一緒に遊ぶことはすぐにやめてしまった。けれども、翌年の正月にはAさんからの年賀状が来て、挨拶文と共にハム太郎のシールなんかも貼られていたのだが、それは今も残してある。その年賀状は、見れば悲しい気持ちにもなるが、不思議と自分が何かを考える時の一つの基点と言うか、何かしらの支えになっているような気もする。

 完全に想像だが、Aさんは文章とかを書くのが好きなタイプだったのではと思う。しかし、恐らくAさんは日記などを書いたりはしていなかったと思う。そう思う理由としては、まだ小学5年生の時点では、自分の内面に目を向けて記録しようとする人が少ないと思うからだ。

 個人的な趣味で、色々な日記や自伝の類を読むことがあるのだが、『アンネの日記』が書かれたのはアンネ・フランクが13歳になってからだし、『二十歳の原点』が書かれたのも高野悦子が14歳になってからだ。ただし、新美南吉なんかは小学3年生から死ぬ間際まで日記を書いていたらしい。とはいえ、巷に数多くある自伝などへ広げて考えてみても、小学生辺りの記憶というのはどうもはっきりしないことが多いように思う。

 もちろん想像なので、ひょっとしたらAさんは日記の類を書いていたかもしれないが、どちらにせよ自分の気持ちをそれなりに伝えられるようになる前に亡くなってしまったのは間違いないと思うし、やはりそれは残念に感じる。AさんのTwitterなんかあれば、こっそり読んでみたかった。

 書いていて少し妄想が過ぎるので、今日はここまで。