経験的事実と論理的推論から何かをやりたい人。

『万引き家族』の評判はなぜ割れたのか - パルムドール受賞からオウム死刑執行まで

パルムドール受賞後

 『万引き家族』という映画について、パルムドール受賞後から様々な意見が飛び交った。個人的に、2004年公開の『誰も知らない』を観てから是枝監督のファンで、タイミングを見て感想をまとめたいと思っていたのだけど、既に一つの記事を書くのに十分な情報が溜まってきてしまった。そこでひとまず、これまでの出来事を時系列的にまとめることにした。これはまだ感想と言えるものではないけれど、差し当たり今までの流れを整理したいと思ったのだった。そして最後には、映画含む「物事の価値」はいかにして決まるのか、という視点にも触れてみたいと思う。

 まず、「是枝監督がカンヌ映画祭パルムドール受賞」のニュースが飛び込んできたのは、2018年5月20日のことだった。その後、先行上映は6月2日から、一般公開は6月8日からと知った。 www.oricon.co.jp

 そんな折、どういう訳かパルムドール受賞直後くらいから、「是枝監督は反日だ」「『万引き家族』は日本人を貶めている」「犯罪を正当化している」などの批判的なツイートがTwitterに溢れた。

 映画の公開前にも関わらず、こうした意見が出てきたのは、是枝映画を今まで観てきた自分としては意外だった。調べてみると、是枝監督が批判される根拠として、次のような記事が出てきた。 japanese.joins.com www.data-max.co.jp

 「血が混ざってこそ家族なのか、日本の家族は崩壊したが…」という記事では、次のようなコメントが書かれている。

「日本は経済不況で階層間の両極化が進んだ。政府は貧困層を助ける代わりに失敗者として烙印を押し、貧困を個人の責任として処理している。映画の中の家族がその代表的な例だ」

「共同体文化が崩壊して家族が崩壊している。多様性を受け入れるほど成熟しておらず、ますます地域主義に傾倒していって、残ったのは国粋主義だけだった。日本が歴史を認めない根っこがここにある。アジア近隣諸国に申し訳ない気持ちだ。日本もドイツのように謝らなければならない。だが、同じ政権がずっと執権することによって私たちは多くの希望を失っている」

 こうした内容から是枝監督は、「日本政府や安倍政権を批判している」「アジア近隣諸国に謝罪すべきと考えている」などと見られ、<反日左翼>であると捉えられ、映画そのものに対しても<反日映画>という評価がされているようだった。

 一方で、森友・加計学園と結びつけた意見や、是枝監督を日本政府が祝わないのはそれこそ恥だ、というような主張も見られた。

先行上映後

 正直な所、自分も是枝監督の一挙手一投足を追っている訳ではないので、まあ少し左翼的な考えに染まってしまったのかな、くらいには考えていた。しかし、それで映画の評価まで決まってしまうことは、少なくとも自分の中ではない。深作欣二大島渚など、反権力的なテーマながら面白いと思える映画を撮った人も、数知れないからだ。そんなことを考えていると、Twitterで興味深い現象が起きていた。先行上映を観た人々の感想が上がり始めていたのだが、おおよそ絶賛するコメントが大勢を占めていたからだ。その中には、<反日映画>という見方を批判する人も多かった。

 6月上旬頃、Twitterで「万引き家族」と調べてみると、「観ずに批判するツイート」や「観て高評価するツイート」や「見なければ分からないだろうという旨のツイート」などがよく見られた。それを見て自分が思い出したのは、アニメ映画の『この世界の片隅に』が出た時に、「戦争映画なんて陰気くさいから見ない」「戦争を美化している」「太極旗が出るから反日的だ」といったことを観ずに主張する人達だった。まさしく自分がいま見ているのは、『万引き家族』という映画を観ずに内容を断定し、批判する主張ではないか。そんなことを思って、自分はTogetterに次のようなまとめを作った。 togetter.com

 このまとめを作ったのは6月2日のことで、まだ映画の一般公開はされていなかった。実を言うと、的外れに見えた批判を利用して、話題作りをしたいという考えもあった。また、この状況をあえて可視化してみるのも意味があるのでは、とも思ったのだった。このまとめは思った以上に反響があって、7月7日現在で3万viewを越えた。また、次のようなまとめも派生的に作られ、こちらは10万viewを越えている。 togetter.com

 やがて、当の是枝監督から、次のブログ記事が書かれた。6月5日と6月7日のことだった。『万引き家族』への批判に関心がある方は、一度読むことをおすすめしたい。 www.kore-eda.com www.kore-eda.com

 この中に、是枝監督は<反日>だなどという主張への反論とも読める内容が書かれていた。要するに、記事の翻訳ミスなどを経て、言及していない語句が付け足された記事が拡散されていたようだ。少なくとも、政権批判や戦後補償の話は映画の主題ではなかったのだ。言われてみれば、是枝監督のインタビュー映像などはネットでも見れたりするのだが、批判対象になった発言は実際には聞いたことがない。  映画を観た人のレビューを見ていても、そもそも政治的な話がほぼ出てこなかったので、右派左派を巡っての政治的主張の応酬は、やはり見当外れなのだろうと推測できてしまった(そもそも反日の定義って何だ、誰が決めるんだという話もあるが)。こうしたことを考えてみると、是枝監督のコメントに尾ひれを付けた中央日報に問題があるようにも感じられた。しかし、「このくらいのロストイントランスレーションは至るところで起きていると思ったほうがいい」という監督の言葉と、別の韓国紙にある「映画が絶望と痛みという井戸から汲み上げられるものならば、私はその井戸を家族に求めている」という一文に感銘を受けたという話から、あまり取り立てるべきことではないようにも思われた。

 その後、「公権力とは距離を置く」と言いつつも助成金を貰っていたことへの批判なども出てきたが、当初言われていた「是枝監督は反日だ」「『万引き家族』は日本人を貶めている」「犯罪を正当化している」のような主張を思うと、まず論点が変わっているし、随分大人しい主張になったものだなと思った。この辺までの経緯は文春の記事にもまとめられているが、個人的にはこの記事の意見に賛同する部分が多い。また、文化庁から受けた助成金2000万円は、ヒットしたら基本的に返すものらしい。 bunshun.jp togetter.com

 以前から是枝監督に興味がある人なら、監督がテレビや映画界についてやや批判的であることも知っていると思う。けれども何も知らない人達は、「偏向報道」などに「加担」する側として是枝監督を批判していて、何を馬鹿なことを言ってるんだと正直思ってしまう。実際の所、是枝監督のことを以前から知る方にとっては、「反日」という批判をされることには、苦笑している人が多いのではないだろうか。

一般公開後

 とにかく、そうこうするうちに一般公開の日を迎え、自分は6月10日に鑑賞してきた(やっと映画の話ができる)。『誰も知らない』を彷彿とさせる要素も何か所かありながら、所々では監督得意のドキュメンタリータッチを崩し、やや劇的な編集をされたカットもあり、楽しむことができた。また、是枝監督の観察眼にも改めて驚かされた。そして、政府のせの字も無ければ、権力のけの字も出てこないことに、思わず笑ってしまった。犯罪を正当化しているなんて意見もあったが、結末も常識的な終わり方をしている。

 確かにこの映画に出てくる家族自体は、現実には存在しない人々だ。けれども、一つ一つのパーツを見ていけば、元になったと考えられる事件をいくらでも挙げることができるだろう。リアルタイムにも様々な事件が起きた。一般公開直前の6月6日には、目黒で5歳の女の子が虐待死した事件が発覚した。公開日の6月8日には、佐賀で「リアル万引き家族」なる事件も起きてしまった。

www.huffingtonpost.jp

 監督のブログにあるinvisible people(見捨てられた人々)という視点で見るなら、6月9日に起きた新幹線での殺傷事件や、6月24日に起きたブロガー刺殺事件や、6月26日に起きた元自衛官による小学校銃撃事件も、映画に関連した事件として取り上げられるだろう。これらは日本で起きた現実の出来事だ。日本の良い所や魅力は自分なりに知っているつもりだし、自国を誇るのはどこの国でもやっていることだろう。しかし、日本が全く何の問題も抱えていないかと言えば、また別の話になる。 www.asahi.com www.itmedia.co.jp www.asahi.com

 その後の7月6日には、オウム事件の死刑囚7人の死刑が執行された。しかし、オウム事件の真相も、結局の所明らかになっていない部分というか、「臭いものに蓋をされた」所があるのではないだろうか。なぜなら、少なくとも事件が発覚する以前、麻原彰晃はバラエティ番組などにも出ていて、世間的には著名人的扱いも受けていたからだ。 headlines.yahoo.co.jp

 また、死刑執行された信者の何人かは、一連の事件について率直に話す姿勢が見受けられた。例えば中川智正は、金正男暗殺後にVXガスの論文を出していたりもする。 www.chem-station.com

 『万引き家族』を観てから「オウム死刑執行」のニュースを聞いた時、そしてその後にオウムへの批判が改めて展開されるのを見た時、「ああオウムの人々は、世間からは理解できない<向こう側>に追いやられたのだな」と思った。オウムの後継団体である「アレフ」には、今でも毎年100人程度の人が入信し、全体の規模は1500人程度にもなるという。思うのだが、「反社会的」というレッテルを貼られた団体にわざわざ入る人は、<こちら側>の日本社会で生きて行けなくなった人々なのではないだろうか。過去に遡れば、そもそもオウムが全盛だった時期は、バブル景気からバブル崩壊への時期とも重なっている。だとしたら、オウム信者を厳しく批判しても、恐らくオウム信者は簡単に<こちら側>へは戻ってくれないだろう。物事を何かと<反日>と結び付けたり、あるいは<軍国的>だとか言って意見を押し込めるのも、却ってカルトを生み出しやすくなるのではないだろうか。  もちろん、オウムが起こした事件は決して許されるものではない。しかし、オウムのような事件を防ごうと思うなら、単にオウムを批判するだけではなく、オウムに入信する人達のセーフティネットも考えなければいけないのではと思っている。それは個人的に言えば、『万引き家族』の人々にも当てはまることで、彼らが作中で犯したことは許されないが、防ぐためには彼らに寄り添わなければ難しいだろうことと同様だ。  そして思うのは、『万引き家族』を観ずに批判する人達が多くいるという事実は、この映画が単なるフィクションではないことを逆説的に示すのではないかということだ。劇中における<万引き家族>の人々が社会からまともに認知されなかったのと同様、作品としての『万引き家族』をロクに調べずにレッテルを貼る人達がいることは、今そこにある事実である。個人的には、映画そのものの評価というよりも、社会に少なからず議論を起こしたという点で、今までの是枝作品にはない特異な性質を感じてもいる。そしてそれは、映画が持つ面白さの一つでもあるように思う。

「物事の価値」はどのように決まるのか

 最後に、そもそも「物事の価値」はどのように決まるのか、ということを考えてみたい。まず前提としたいのは、物事の価値は主観的に決まるものだということだ。物事の価値は物差しで測れるようなものではなく、人それぞれの心の内で決まるものだろう。だから例えば、世間的に評判がいい映画を観ても感動しないことはあり得るし、逆に世間が評価しない映画に自分は価値を感じることもあるだろう。だから、基本的には価値の問題で論争するのは無意味だとも言えよう。

 では、物事の価値が主観的に決まるものだとして、それはどのような過程を経て決まるのだろうか。映画の場合、まず第一には映画を観た経験を通じて、価値が決まるはずだろう。しかし現実には、それ以外の影響を受けることも多いように思う。例えば『万引き家族』の場合、幸か不幸か一般公開の前から、様々な話題と関連づけて論じられてきた。それによって、映画の評価が割れた部分は大きいのではないだろうか。個人的に『万引き家族』は、主張を明確な形では言わない映画だと考えているが、むしろそういう性質を持つからこそ、様々な意見と結び付けられたのだと思う。実際、映画に好意的と思われる評価を見ても、書くことは人によって様々だ。世間一般的には、「映画の価値は映画の内容だけから決まる」と考えられているように思うが、もしかするとそうした考え方には修正が必要なのかもしれない。

 とにかく、「映画の価値は映画の内容以外の影響も受ける」と考えてみよう。すると、例えば『万引き家族』を反日的だと批判する人は、是枝監督の<反日的>発言などの影響を受けていると自然に推測できる。映画が犯罪を正当化していると言う人は、過去に見聞きした似た例を思い出して、嫌悪感を抱いたのかもしれない。また、映画で描かれた人々に共感できるかどうかは、過去の自分の経験や伝聞にも依存するだろう。さらに、映画の題材が「実話」の場合は、そのことも映画の価値に影響を与えると考えられる。例えば、何も知らずに観た映画が後で実話だと知った時、その映画を撮った意義について考え直すこともあるだろう。特に『万引き家族』の場合、様々な点で現実の出来事をモチーフにしているので、当然その評価は普段見ているニュースなどの知識にも依存するはずだ。そのように事前の情報などから結論を「先取り」することは、特に珍しいことではない。実を言えば、誰もが日常的にやっていることだ。

 さて、物事の価値はまず主観的に決まるものであり、さらに個人の経験や伝聞に影響される可能性を指摘してみた。では、そのように見出された「物事の価値」について、正当性を問える場合はあるのだろうか。自分は先に、「物事の価値は主観的に決まるもの」であり、「基本的には価値の問題で論争するのは無意味」だと書いた。しかし一方で、観てもいない映画の情報を伝聞で聞いただけで、その映画を素晴らしいものと考えるような場合は、判断材料が不十分なように思われる。この場合は、価値判断の正当性を問題にできるのではないだろうか。伝聞による価値判断をより確かにする1つの方法は、自分で実物を「見知る」ことである。映画を実際に観て、改めて素晴らしいと思った場合には伝聞が正当化され、そうでもなかった時には棄却されることになるはずだ。そう考えると、価値判断の正当性を問う時には、対象を実際に見知っているかが重要になると考えられる。  だから『万引き家族』にしても、観る前から伝聞で素晴らしい映画だと考えたり、酷い映画だと考えるのは自由だが、それは言わばある種の予想のようなもので、その評価に説得力を持たせるにはきちんと鑑賞するしかないはずなのだ。そして、実はそれと似た主張は、『万引き家族』の中でも訴えられていることだと思っている。今となっては、日本だけでなく世界での興行も好調で、映画のレビューも絶えず増えている状況は良いことだと思う。公開前の時点であれだけ様々な意見が飛び交っていた一方で、やがて鑑賞した人々によって広がった評価を見て、ひょっとしてこれは世の中を変える映画なのかもしれないと思った。

<参考>

万引き家族【映画小説化作品】

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